プラハのゴーレム伝説

share

チェコ共和国および旧ボヘミア王国の首都プラハは、古くからPraga mater urbiumまたは Praga caput regniと呼ばれ、学者たちが多くいたことで有名な街でした。 伝説によれば8世紀にプラハを創設したといわれる女王リブシェは、「プラハは天にまで届くほどの栄光を得るだろう」と予言したそうです。 早くも10世紀には旅行家のイブラヒム・イブン・ヤクブが、プラハについて「石造りの街」との記述を残しており、当時すでに存在していたユダヤ人コミュニティについても記録しています。このことからも、プラハがはるか昔からユダヤ文化、そしてユダヤの伝説と切り離せないつながりを持っていたことがわかります。どんな歴史豊かな町にも必ずあるように、プラハにもたくさんの伝説が存在し、ゲニウス・ロキを豊かに織りなしていますが、その中でも一番有名なのがゴーレム伝説ではないでしょうか。

イェフダ・ベン・ベザレル(1526?-1609)、通称ラビ・レーヴが造ったとされるゴーレムは、あらゆる敵からユダヤ人を守る存在となるはずでした。ラビ・レーヴは1573年、ユダヤ教の聖典タルムードを学ぶ高等教育機関イェシヴァをプラハに創設しました。ユダヤの神秘主義思想「カバラ」を研究する学者として名を馳せていたことは明らかなようです。この思想に興味を持ったのが、芸術愛好家で学問のパトロンだった皇帝ルドルフ2世でした。ボヘミアの地の文化的繁栄には貢献したルドルフ2世でしたが、政治的にはさほどの成功を収めることはありませんでした。ラビ・レーヴは1592年2月に、ルドルフ2世に謁見しています。   

Old New Synagogue | Photo: Prague City Tourism

ある夜、ラビ・レーヴはヴルタヴァ川の岸から掘った土で「土人形」を作るように、という霊感を得ました。そこで娘婿と、忠実な弟子の一人をともなって川岸に向かいました。三人は土をこねて「大きな人間」の形にし、神秘主義の要素である土・火・水・空気を使ってそれを焼いてから冷やし、それにラビが魔力のある文字を書いた羊皮紙を丸めて差し込むことで、命を吹き込みました。ゴーレムはこのようにして「命を与えた」人だけの言うことをきくようになったということです。ゴーレムは夜が近づくにつれて力を増すようになるため、ラビ・レーヴはゴーレムを休ませるために、夜が来る前に羊皮紙を取り除くようにしていました(特に安息日である土曜日「サバト」—チェコ語で土曜日を意味するsobotaはヘブライ語を語源としています—には必ず外していました)。ある時、ラビ・レーヴはそれを忘れてしまい、狂暴化したゴーレムは街へ飛び出して、邪魔するものを片っ端から破壊し、誰もそれを止めることができなくなりました。急遽呼び出されたラビ・レーヴが、ようやくゴーレムを止めることができたといいます。ラビはゴーレムを旧新シナゴーグの屋根裏に連れて行き、命の札を取り去って動けなくしました。ゴーレムは粉々に砕けて塵となり、今でも旧新シナゴーグの屋根裏の土の床にその塵が混ざっていると言われています。

1915年、小説家グスタフ・マイリンク(1868-1932)が、世界的に有名となる小説『ゴーレム』をプラハで発表します。同じ年に、ドイツの表現主義映画監督で俳優のパウル・ヴェゲナー(1874-1948)が、Der Golemの名でゴーレムを映画化しています。ちなみにヴェゲナーはその2年前に、初期無声ホラー映画の一作『プラーグの大学生』(Student von Prag、監督:シュテラン・ライ)で主役を務めていますが、この映画はラビ・レーヴが眠る、プラハの旧ユダヤ人墓地で撮影されています。ヴェゲナーはその後も再三、ゴーレムをテーマとした作品に取り組んでいます。1920年には『ゴーレムの誕生』 (Der Golem, wie er in die Welt kam)を公開しますが、これは日本の映画ファンのあいだでも『巨人ゴーレム』のタイトルで知られています。

「人造人間」のアイディアは、はるか昔から存在していました。ルドルフ2世の時代、錬金術師たちがすでにホムンクルスの製造を試みています。ホムンクルスについてはゲーテも、かの名高い戯曲『ファウスト』で題材にしています(ちなみにプラハに伝わる別の有名な伝説にもインスピレーションを得ています)。

チェコの小説家でジャーナリスト、劇作家だったカレル・チャペック(1890-1938)も、忘れてはなりません。画家で小説家の兄ヨゼフ・チャペック(1887-1945)に触発されて、1920年発表の戯曲『R. U. R.』に登場する人造人間にロボットという名を与え、この言葉はまたたく間に全世界に広がりました。『R. U. R.』は1924年、東京の築地小劇場でも上演され、好評を博しました。

Old Jewish Cemetery | Photo: Prague City Tourism

このように、ゴーレムの「後継者たち」には今でもお目にかかることができます。とりわけプラハでは、何世紀ものあいだ変わらぬ姿をとどめている場所で、ゴーレムたちに出会うことができます。プラハは何層にも複雑に織りなされた街であり、あらゆるもの同士が互いに関係しあっているのです。フランツ・カフカが、プラハは一度訪れたらその人を捉えて離さないと語ったのも、そういう訳だったのかもしれません。そこにこそ、プラハの秘められた魔力があるのです。

Smazat logy Zavřít